共依存について整理してみました。
断酒会で「共依存」という言葉を耳にします。
主に、アルコール依存症の家族に対して使われていると思います。
例えば・・・
☆ アルコール依存症者に対して、その家族がいろいろお世話(後始末)をする。
☆ アルコール依存症者に対して、その家族が巻き込まれていて、その人のことで振り回されてしまう、もしくは、何とかしようと、奮闘する。
アルコール依存症者がいる家庭で見られること(結果、余計に飲むことになる場合があったとしても)に対して、「共依存」という言葉を簡単に使っているような気がします。「共依存」は、アメリカで依存症者の妻たちが苦しむ様子を目にした援助者たちが自然発生的に使い始めた言葉ではあります。しかし、そんな使われ方でいいのでしょうか???
では、「共依存」って何だろう・・・もう一度考えてみましょう。
共依存については、さまざまな定義があり、「自己喪失の病」と言われたり、「人間関係上のパターン」をさすこともあります。共依存やトラウマの治療施設として世界的に有名な「メドゥズ」のプログラム・ディレクターであるピア・メロディは、共依存の「核となる症状」を次のようにあげています。これはまさに、ACの課題でもあります。
~共依存5つの「症状」~
1.
セルフエスティームの問題
自分が生まれながらに持っている価値を子ども時代に認めてもらえなかったため、人と比べて「劣っている、優れている」という、外の価値基準を頼りに生きようとする。内的な価値の手がかりがない。
2.
境界の問題
子ども時代に自分をきちんと守ってもらえなかったり、親からべったりくっつかれたために、適切な境界の引き方がわからない。壁を作って孤立したり、境界がないまま相手に蹂躢(じゅうりん)されてしまう。
3.
現実性の問題
自分をそのままの姿で認められないため、完ぺきならOK、少しでも間違うとダメ、といった白黒思考に陥る。人間は間違うこともあれば弱いところもあり、感情も揺れ動くものだという現実を認められない。
4.
依存の問題
子ども時代に自分のニーズが満たされなかったり、親が先回りして何でも与えてしまうために起きる。「人に頼ることをせず、なんでも自分の力でやろうとする」か、「自分の責任で自分のニーズに頼ってしまう」かのどちらかになる。
5.
中庸の問題
適度な自己表現やセルフコントロールが難しい。自分の衝動や欲求が吟味することができず行動に移したり、がちがちに我慢して抑えすぎたりする。
AHC(アスク・ヒューマン・ケア)のHPより抜粋《 AHCとは、ASKの出資によって設立された会社です。》
とありました。書かれているとおり、共依存はあくまでも、ACの課題です。依存症者に振り回されている、もしくは、自分ひとりが奮闘しているからといって、「共依存」とは言いません。言えません。言ってはいけません。そこのところを、断酒会として、きちんと理解するところからはじめませんか?(そんなこと今さら何を・・・)と思われるぐらい、きちんと理解している断酒会もあるでしょうが。ここをはっきりしないから、何だかおかしなことになっている気がします、というより、おかしいんです。
私自身は、ACであり、自分自身の課題を持っているという自覚があります。断酒会に入る前から何となく気付いていましたし、断酒会の研修、アスクの「Be!」等により私の中で色々なことが結びつき、納得したことでした。だから、依存症の人(夫)を思い通りに操ろうとしたり(2.境界の問題 相手を蹂躙しようとする)や、自分がどうかというより、相手に比べて自分はどうなのかということに必要以上に固執したり(1.セルフエスティームの問題 外の価値基準を頼りに生きる)、相手の顔色一つに心が揺れ動揺する、もしくは、相手に気に入られるような行動をしようとする(2.境界の問題 相手に蹂躙される)というように、様々な課題があり、生き辛さを感じていました。これは、夫の依存症によって引き起こされたわけではなく、あくまでも自分の課題により、ある意味、夫を巻き込んでいた(その夫がたまたま依存症だった?!)のかもしれません。こう考えたら、私自身「共依存」という考え方については、すっきりします。
だから、はじめに出したような、アルコール依存症者の家族に対して使われている
☆ アルコール依存症者に対して、その家族がいろいろお世話(後始末)をする。
☆ アルコール依存症者に対して、その家族が巻き込まれて、その人のことで振り回されてしまう、もしくは、何とかしようと、奮闘する。
ことについて、軽々しく「共依存」なんて言葉を使うのもうやめましょう。だって、おかしいでしょ?使ったら変でしょ?
断酒会でよく意味も分からずに使っていた、今でも、意味も分からず使われている「共依存」について、もう一度きちんと考え直してみませんか?ACという概念抜きでの共依存はないのではないでしょうか?
おまけに、もう一つ。
私は、最近まで、アルコール依存症は、ACだと100%思っていました。ACの生き辛さにより、何かに依存せずにはいられなかったと。だから、お酒を止めるだけでなく、なぜ、依存症になったのかを見つめることにより、自分自身の過去(特に幼児期)を振り返るのです。原因がどこにあるのか分かった時、その呪縛から解き放たれる、もしくは、解き放たれる機会を得ることができると真剣に思っていました。
最近それだけではないかな・・とやっと思うようになりました。「発達障害」です。
発達障害の特性を持っていて、依存症になっている方に対する支援を、断酒会としてしっかりと打ち出す必要があると思います。本人の自覚があるなしに関わらず、発達障害からくる生き辛さゆえに、何かに依存してしまうということがあります。発達障害の特性のため、周りから理解を得ることが出来なくて、保護者からゆがんだ接し方をされ、ACになる場合もあるでしょう。その場合、過去を振り返ることができる場合もあるかもしれないが、過去を振り返るより、まず、本人が自分の特性を理解する、または、周りが特性を理解した上で、適切な支援をすることがより断酒につながるのでは・・・と思います。
事実、大人の発達障害を診断することはかなり難しいです。でも、診断があるなしに関わらず、また、本人が発達障害を自覚しているかどうかに関わらず、発達障害の特性が見られたら、きちんと支援をしていく方向でいかなければならないと思います。
断酒会の中で、仲間との関わり方により、その人の人生が大きく変わっていく姿をそばでたくさん見る中で、最近強く思うようになりました。関わり方次第で、その人の今後の生き方にまで影響してしまうからです。
「同じ依存症や。お酒を止める方法は一緒じゃ!!」という声が聞こえてきそうです。お酒を止める方法「断酒会に通って、自分を語る」は一緒です。誰でも暖かく迎えることができる断酒会、そして、仲間としてずっとつながりあっていく断酒会の中で、いろいろ出てくる問題の中に、発達障害の問題もあると私は思います。きちんとした支援(対応)をしないといけない人もたくさんいるのです。
きょうは、久しぶりの「つぶやき」です。
最近ずっと思っていた「断酒会の中で軽く使われる(私も軽く使っていた!?)言葉『共依存』について」「発達障害について」この二つについて、つぶやいてみました。
W