記念講演として漫画家の西原理恵子さんと樋口進氏の対談がありました。西原さんは高知県出身なので親近感を持って講演を聴きました。
☆☆ 大好きだったお父さん ☆☆
西原さんは今までの人生の中で、いつも身近にアルコール依存症の方がいらしたそうです。
一人目は本当のお父さんでした。アルコール依存症で、西原さんが生まれてすぐにお酒でなくなったそうです。ドブにはまっていたけどドブの中でも前のめりだったとの西原さんの言葉に客席は思わず笑ってしまいました。(注:「たとえドブの中でも前のめりで死にたい」これは巨人の星の中で坂本竜馬の言葉として紹介されたものです)
2人目のお父さんはギャンブル好きだったそうです。西原さんはお父さんが大好きだったのに、どんどんひどくなっていきました。西原さんは、生まれて初めて、この人は死んだ方がいいと思ったとのことです。
☆☆ 鴨志田さんとお酒 ☆☆
また、ご主人の鴨志田譲(かもしだゆたか)さんについても話をしてくださいました。
最初は海外取材で、タイのガイドとして出会い、次にアマゾンでカメラマンとして出会われたそうです。最初は優しかったのですが、子どもが産まれて半年くらいで、お酒がひどくなったそうです。どなる。こわす。なじる。西原さんは「いびり酒」だとおっしゃっていました。何時間でもすべての物を否定し続け、なじる。あの頃のことはつらくてあまりおぼえていないとおっしゃっていました。彼は死んだ方がいいと思っていたそうです。そんな風に思ってしまったのはお父さんについで2回目だということでした。
でも、外では本当にいい夫を演じていたそうです。とても立ち回りのうまい人だと、ずっと性格の悪い人だと思っていたんだそうです。何年も後でようやく鴨志田さんがお酒をやめる時が来るのですが、その時になって初めて、彼はアルコール依存症という病気だったんだと、気づいたのだそうです。
6年間のたいへんな時期を経てから、西原さんは離婚されました。2人のお子さんが5才と2才の時だったそうです。あの時6年も待たずに、もっと早く手をはなせば良かったとおっしゃっていました。
講演内容をすべてお伝えできませんが、いろんなお話しの中で出た
「ジャンキーになりそうな人が戦場カメラマンになるのでは」
「アルコール依存症は、ある人にとってお酒が覚醒剤になってしまう病気だと説明している」
という西原さんの言葉がとても新鮮で興味深く、関心してしまいました。
☆☆ 遺伝より環境 ☆☆
樋口進氏のお話しによると、酔い方は親子で似ており、医学的な双子の研究から5割くらいは遺伝の関係があるという報告があるそうです。しかし遺伝子よりもリスクがあるのは環境だとおっしゃっていました。環境によって防ぐことが出来る、そう言うことを勉強することが必要だということです。
西原さんは、ご自分の息子さんは「アル中のサラブレッド」だと発言され、また会場は笑ってしまいました。西原さんは「憎むこと」が一番悪いことだとおっしゃっていました。それさえ知っていれば、最悪のパターンは防げるとのことです。もう一つは経済力で、娘さんにも働かないという選択肢はないと言い聞かせていらっしゃるそうです。
☆☆ 飲む日々 ☆☆
6年間の間、鴨志田さんは元気なアル中で、飲めて飲めて、本当にたくさんお酒を飲んだそうです。その中で、西原さんは、彼から逃げるのにせいいっぱいなのに、共依存と言われて、一番傷ついたとおっしゃっていました。
その期間、鴨志田さんは食道静脈瘤破裂を7回起こしたそうです。でも内科の病院では、アルコール依存症だと誰も言ってくれなかったそうです。
もっと早く離婚して放り出せばよかったと何度かおっしゃっていました。
底付きして、気づきになって、やっと「酒やめる」と言ったそうです。
離婚後、「酒やめたら帰ってきていいよ」と言ってあげなさいと、西原さんに知り合いの医者が勧めてくれたそうです。(高須院長?)
「6年間、誰かに相談しようと思いませんでしたか」という樋口氏の問いに、西原さんは、まわりの人に家族の悪口を言うことになるのがイヤだと答えられました。また、6年間、鴨志田さんがお酒を飲み始めると、さあ始まったと逃げ回っていた。高い山の上に上っていたり谷に落ちたり、ただ難破船に乗っているだけだった。相談する気力もなかったとおっしゃっていました。
☆☆ 幸せな半年間 ☆☆
離婚した後も、鴨志田さんはお酒をやめようとして入院・退院・また入院を繰り返しました。抗酒剤を飲んでいるのに、お酒を飲んでしまい、倒れて運ばれることを繰り返したそうです。
西原さんも少しうつ状態になり精神科に通院する時、鴨志田さんに「一緒に行こう」と誘ったところ、「一緒に行く」と返事されたそうです。ところが鴨志田さんはまたお酒で倒れてケガをして、そのまま西原さんと約束した精神科へ来たそうです。そこでお医者さんが「あなたはアルコール依存症です。入院しましょう」と言って、入院したそうです。
その入院をきっかけに、やっとお酒をやめることができたそうです。
鴨志田さんは、ひどい状態の時にも、子どもの前ではからみ酒をしなかったそうです。子どものためには夫婦は共犯者なので、西原さんも夫の悪口を子どもに言ったりしなかったそうです。でも隠し事もせず、子どもには全部見せたとおっしゃっていました。
こうして鴨志田さんはお酒を止められました、が、残念なことにガンにかかってしまいました。そしてお二人は復縁されるのですが、西原さんは復縁するのはものすごく怖かったそうです。でも帰って来られた鴨志田さんは、もちろんお酒も飲まず、明るくてやさしくて働き者だったそうです。
ガンで亡くなられるまでの半年間は本当に幸せだったとのことです。幸せな記憶で上書きができたそうです。
西原さんは何度も「彼はアルコール依存症を治して帰ってきた」「アルコール依存症は治る病気だ」とおっしゃっていました。「治る」というのは正確な表現ではないと家族会の人はみんな感じたと思いますが、「お酒をやめた幸せな生活に戻ることができる」ということを「治る」と表現されてもいいかと思いました。私は、西原さんが半年間本当にお幸せだったのだと思いました。鴨志田さんも断酒会には行ってたそうです。
鴨志田さんの最後にはお酒を飲ましてあげたかったけど、ご本人が「絶対飲まない、飲んだら人じゃなくなるから」と言われて飲まなかったそうです。
久里浜の患者の輪読会で鴨志田さんの本を読んだそうです。その「酔いがさめたら、うちに帰ろう」は映画化されることに決まったそうです。
http://www.bitters.co.jp/yoigasametara/
☆☆ まとめ ☆☆
最後には、西原さんと樋口氏でまとめをされました。
どれもわかりやすく、簡潔でうまい表現で、この言葉をぜひ社会に広めたい!と思いました。
■アルコール依存症は病気で、例えば
インフルエンザだったら、病気の症状として「40℃の高熱」になる。
アルコール依存症だったら、病気の症状として「性格が悪い」「人をいじめる」になる。
■家族は「つきはなす」ことが大事。
それから、本人が「底付き」し、「気づき」に至る。
仕事をして経済力を付けておけば、適切な時期につきはなすことができる。
■依存症の身分を上げよう。病気としての身分をガンなみにあげたい。
「ガンになったらこんなにみんなに親切にしてもらえるんだ」鴨志田氏談
■「家族は後方支援に」
■「家族会に行こう」
西原さんは漫画家らしく(高知出身らしく?)サービスたっぷりに会場を楽しませてくれました。鴨志田さんのお酒に大変だった頃の話も、悲哀を感じさせずサクサクと話をされて、ギャグが入るとうっかり笑ってしまいました。たくさんの言葉が、いつものサイバラ漫画のように、私たちの心に残りました。
西原さん、どうかこれからもがんばってください!
高知から応援しています!!
(reported by 高知県断酒新生会家族会内 西原理恵子ファンクラブ)