自分を見つめる

(1)断酒会という言葉を知る

社会人になって、間もない頃、
高知新聞に連載されていた「ACブルース」の記事。
私は、興味深く、読みました。
私の周りに、アルコール依存症の人がいたわけではありませんでした。

私が興味を持ったのは、この連載されている記事の中に、
問題がある家庭の中で育った子どものことを、ACといい、
生きづらさを抱えて育つ、という内容です。
自分自身、何か分からないけれど、とても共感をしたことを、
覚えています。

その時に、「断酒会」という言葉を知りました。


(2)夫の飲み方がおかしい

数年後、結婚しました。
高知県という土地柄、
お酒を飲むことに関しては、
特に、何も思わずにいました。
お酒に強いということは、
決して、マイナスではないと思っていました。
しかし、夫の飲み方は、度を超していました。
数年間は、
「そんなに飲まれんで。体に悪いき。」
と声をかけたり、
「今日はこれだけ飲んだらいい。」
と、お酒の量をコントロールしていました。

最初は、私の言うことを聞いていた夫も、
だんだん、隠れて飲むようになりました。

私が寝た後、
近くのコンビニへ飲酒運転で、
お酒を買いに行くようにもなりました。

そして、断酒会につながることになる直前には、
仕事の帰りにコンビニでお酒を買い、
飲んで帰宅するようになったのです。

その頃、飲酒運転による事故のニュースが、
世間を騒がしていました。
何度も、何度も、テレビで報道されているにもかかわらず、
飲酒運転をやめない夫。
その時、私の中で浮かんだのは、
十数年前、高知新聞で連載されていた記事でした。
「断酒会」「小林さん」「AC」
そのキーワードをもとに、インターネットで調べ、
高知県断酒新生会のホームページにたどり着いたのです。


(3)断酒会につながる

ホームページを見て、
自分たちが住んでいるN市の
Y夫妻のお宅へ電話をしました。
そして、一週間後の断酒会例会に、
出席することになりました。
この時私は、ほっとしました。
これで、夫はお酒を飲まなくなる・・・
本気でそう思いました。

2日ほど、飲まなかったのですが、
お酒のにおいをさせて、帰宅した日もありました。

Y夫妻に連絡を取った日から、ほぼ毎日、
Y夫妻から電話をいただきました。
「今日は、飲んでいないと思う。」
そう伝えた日もあれば、
「夫は飲んでいる。」
そう泣きながら伝えた日もありました。

夫にお酒をやめてほしい。
そんな気持ちだけでは、実は、ありませんでした。
その当時の私は、「アルコール依存症」ではなく、「アル中」
という言葉しか知らなかったように思います。
「アル中」というと、
家族に暴力を振り、仕事もせず、汚い格好で、道ばたに寝ている
そんなイメージを勝手に持っていましたので、
夫を本当に、断酒会に入れてもいいのか・・・
夫は、私の思っているアル中とは違う・・・・・
そんなふうに、気持ちが揺れ動いていたのも事実です。

初めて例会に行くことになった前日に、
Y夫妻と私たち夫婦は、近くの喫茶店で会いました。
普通の方だったのに、びっくりしました。

その当時の私は、まだまだアルコール依存症に対して、
偏見を持っていたと思います。
断酒会の方、というイメージを勝手に作り上げて、
怖いイメージを持っていました。

Y夫妻は、とても親切に話をしてくださいました。
そして、次の日、初めて例会に出席することになったのです。


(4)断酒会に入会する

忘れもしない2006年10月1日(日)、初めて例会に出席しました。
夫の飲み方がおかしいことに気がつき、
「これは、断酒会しかない。」そう思った私ですが、
断酒会でどのようなことをするのか、ということに関して、
まったく考えもしませんでした。
ただ、「入会したら、やめることが出来る。」
そのことしか、頭にありませんでした。
普段、石橋を叩いても渡らないほど慎重な私には
珍しい行動でした。

初めての会で、これまでの夫の姿を思い出しながら、
皆さんの体験談を聞きました。

そして、会が終わった時に、
夫を入会させました
「断酒会に入会する」
その時の私は、やっとゴールがきたと思いました。
しかし、それは、
まだまだゴールではなく、
ましてや、スタートでもなかったのです。

(5)入会後の一週間

断酒会に入会して、3日ほどたった時、
夫はやはり、飲んで帰ってきました。
その時、私は、この病気の大変さを実感しました。
とても情けなかったです。
辛かったです。

そして、
10月7日(土)の例会で、
夫がまだ飲んでいること、
断酒会に入会して、ゴールと思っていたのに、
全然ゴールじゃなかったこと、
話をしました。
涙が出ました。

夫は、この日から、
お酒をやめました。
断酒会に入会して、1週間たった時でした。

(6)共依存?

夫が断酒会に入会して、
3週間後に、例会で、小林さんにお会いしました。
小林さんの発表の中に、小林さんの奥さんの話がありました。
その中で、「共依存」という言葉が出てきました。
私は、生まれて初めて聞く言葉でした。
そして、その話を聞いて、自分はもしかして、
その「共依存」というものではないか・・と思いました。

自分の番になった時、
自分が夫にしてきたことについて話した後、
小林さんに、「私の行動は共依存でしょうか?」
思わず聞いてしまいました。

私は、「どこまでが自分で、どこからが他人か」という境界が
分からずにいたのだと思います。
結婚したときから、
夫を、自分の人生の一部のように思い、 支配していました。
自分のおもうように、夫をコントロールすることが、
一番重要だと思っていたのだと思います。

断酒会に入会する直前に、
お酒を取るか、離婚するか、
そう詰め寄ったことが何回かあります。
正直言うと、
まったく離婚する気はありませんでした。
そう言えば、夫は、お酒をやめるだろう。
そんな計算から、私は、離婚という切り札を出したのです。
それも、今思えば、夫をコントロールしていたのだと思います。

(7)断酒が続いて

夫は今も断酒が続いています。
入会当初、酒害が軽いので、
真剣にやらないと、断酒は難しいかも・・
と言われましたが、
断酒会の皆さまのおかげで、断酒が続いています。

しかし、順調だったわけではありません。

最初の3~4ヶ月ほどは、
夫は、例会にあまり出席しませんでした。
それでも、断酒が続いている夫を見て、
私の方が、「飲んでもいい理由」を考えていました。

「こんなに簡単にやめられたのだから、
夫は、依存症ではないのではないか?」
他の方の様々な酒害を聞いていて、
夫とあまりに違うということに気づき、
「夫は、断酒会に入らなくても、大丈夫だったのではないか?」
そんなことを私は思っていました。

しかし、夫の方が、その時点で、
自分は、アルコール依存症であり、断酒会につながり続けないと、
また、もとに戻ってしまう。
いや、前より、ひどくなってしまう。
そう言っていました。

そんな夫を見て、
私は、夫の病気を否認していたことに気がつきました。
お酒の飲み方がおかしい夫を見て、
断酒会に入会させたのは私なのに、
その私が、否認をしてしまう・・
これも、私の問題の一つだと思います。

(8)今、思うこと

今、夫は、断酒会が自分の居場所だと思っています。
そして、たくさんの会員の方と、一人でも多く
知り合い、つながっていきたいと思っているようです。

私は・・・・
私は、今まだ居場所がどこか分からずに、
漂っているようです。

ただ分かっていることは、
十数年前に、高知新聞の記事を見て、共感し、気づいたこと。
「私は、機能不全家族に育ったACである。」ということ。
この事実をきちんと見つめているところです。

1.子ども時代に身につけた行動や思考パターンを見つめ、変えていく
2.自分の中にいるインナーチャイルドと出会い、癒していく

自分を見つめることを続けていきたいと思います。