幸せな家族をつくるまで

~夫への世話をやめ、私は私の人生を考えはじめた~


両親の喧嘩に、子どもの私が仲裁

私は父のお酒が原因で、
いろいろなことに問題がある機能不全家族の中で育ちました。

物心ついた頃には父が飲み過ぎると母の愚痴が始まり、
そのうち大喧嘩になり、最後には、
私たち子どもが泣きながら中に入って
終わらせるということをしていました。

そのため、いつ喧嘩が始まるか、
また喧嘩が始まるといつ中に入って止めさせるかと、
いつもどきどきしながら両親の様子を見ていました。
母はことあるごとに、
泣きながら延々と父の愚痴を幼い私たちに言い聞かせ、
私たちは何も言えずにただ黙って聞いていました。

そんな中でも、私が一番嫌いだったのは、
家に来たお客さんやその他の人の前でも、
喧嘩をすることでした。
小さな部落の中に知れ渡るような喧嘩をして、
明日近所の人に会って恥ずかしくないだろうか、
私はすごくはずかしいのにと思っていました。

いつまでも気になる両親

両親には喧嘩をして欲しくないといつも思っていたので
私自身も、もめ事を自然に避けるようになり、
怒らせないために、いつもにこにこ笑っていたり、
目にとまらないように人の後ろからついて行くようになっていました。
その方が一番安心できるからです。

学校を卒業して家を出ても、両親のことは何時も気になっていました。
両親の喧嘩は見たくない、母の愚痴は聞きたくないと思っているのに、
なぜか様子を見に家にたびたび帰っていました。
そして、電話が掛かってきたりすると
何よりも優先して家に帰り、
今までと同じように二人の中に入って
その場を治めていました。

その度に「この親は子どものことをどう思っているのだろうか」
とか「私たちは何でいつまでも親のことを心配して
生活しなくてはならないのか」と思っていました。
そんな思いの中で結婚した私は、
何時も現実の生活と、母たちとの関わりと、
子どもの頃の自分の思いとを比べて暮らしていました。


母と反対のことをすればいい家庭になる

結婚したばかりの頃から飲んでいる夫を見ていても、
酒飲みは嫌だということは逆に、
母のようなやり方でなかったら喧嘩もせず、
子どもに愚痴を聞かせることもなく普通の生活が出来るはずだ、
という変な自信みたいなものがありました。

夫と一緒の暮らしが始まると、
妻は家事、子育てをきちっとこなし、
夫の言うことに口答えもせず従うことが
夫の望みのように私には思えました。

だとすればその思いに反すると
夫の機嫌が悪くなるかもしれない、喧嘩になったらいけない、
そうなると私が願っていた結婚生活が送れなくなると不安になり、
素直に「はい」と言えなくてもできるだけ夫の望むように合わせていました。


やはり母と同じことをしていた
 
結婚生活が18年ほど経った頃には
夫の飲み方は父よりひどくなり、
アルコール依存症になっていました。
私はというと
夫の酒量が増えても、
暴言がひどくなっても、
家の中の物を壊しても、
子どもの前で喧嘩したくない一心から
その場を逃げ出したりしていました。

また、夫がいつ寝たきりになっても大丈夫、
と言えるほど夫の世話をするようになっていました。

そんな生活の中でも母は私に、
「私くらい苦労した者はいない」とか、
「私くらい頑張って生きてきた者はいない」とか、
「私ほど可哀想な者はいない」と言われ続けていました。

私は母のその言葉に抵抗したくて、
あえて自分が苦労しているとか可哀想だとか
思わないようにしていました。

ある日、高校生だった娘に
「お母さん一人だけが苦労しているんじゃないよ。
17歳は17歳なりに家族のことを考えているのよ」
と言われ、はっとしました。
自分でも気がつかないうちに、私は母親と同じことをして
娘に自分の気持ちを押しつけ、
子どもの頃の私と同じことをさせていたのかとショックでした。

自分の人生を考えはじめた
これが契機となりました。
このまま何もしないで母と同じ人生を送るのは嫌だと思い、
まず自分の出来ることは全部して、それで駄目だったら
堂々と離婚しようと決めました。

自分の気持ちが決まると何故か、
夫がアルコール依存症になったのも、
半分は私のせいかもしれないと思うようになりました。

そこで、離婚を決意した頃に知った断酒会へ、
私自身がどうすればよいかを教えてもらおうと見学に行きました。

私が断酒会を見学に行ったことがきっかけになって、
夫は意外に簡単に断酒会に入会してくれました。
断酒会に入ってすぐ「共依存」という言葉を知りました。

夫のひどい飲酒に対しても
喧嘩をしたくないという思いが強いため、
酒を止めてくれという説得はしませんでした。
逆に機嫌が悪くならないようにとお酒の量を決めたり、
時には隠したりしながら飲ませ続けました。

夫の世話をやめる
断酒会に入会してから、
今まで夫に話しても聞いてはもらえないから
言っても仕方がない、と思っていた自分の気持ちや考え方を、
例会の中で少しずつ話すようにしました。
ところが、夫は意外に素直に聞いてくれるようになり、
私を認めてくれるようになりました。
それにつれて私も、精神的に落ち着くようになり、
安心して生活が送れるようになりました。

それと同時に、
まるで介護でもするように面倒を見ていた夫の世話をやめ、
夫自身も少しずつ自分のことは自分でするようになって来ました。

ただこうしたお互いが自立を目指した生活に慣れるのに、
私の方が時間がかかりました。
新しいことを一つ一つする度に
夫の機嫌が悪くなりはしないかとどきどきしたり、
顔色を見てこれでよかったのだとほっとしたりしました。

しかし、その一方で
だんだん自分のすることがなくなるという
変な気持ちに襲われていました。

幅の広い見方ができるようになった

夫自身も一歳の時、お酒が原因で父親を亡くして
母子家庭で育っていたので、
断酒会で勉強する中で私を理解するようになったと思います。

入会以来、夫婦で例会に出席し、
お互いの体験発表に耳を傾け、
他の会員夫婦の話を聞くことで
幅の広い見方が出来るようになったのです。

振り回されていた親にも
少しは自分の気持ちが言えるようになり、
親を見る目も変わりました。

いつも上から押しつけられ、
下から不安な気持ちで見上げるばかりだったのが、
今ではいろいろな方向から親を見ることが出来るようになっています。

親が何を言ってきても
不安になることがなくなりました。
たぶんこれは、
断酒会の中で改めてお互いを知り、
私の複雑な心を理解するようになった夫が、
半分以上引き受けてくれているからだと思います。

母は母、私は私の人生を
80歳近くになった母は今でも、
「父と結婚して一度もいいことは無かった。
最悪の人生だった」と言います。
以前はそんな時、
「その最悪の人生の中で私たち子どもも一緒に生きてきたのに、
その子どもは自分のことをどう思えばいいのか」
と思っていました。

でも、今は違います。
断酒会の中で学んだおかげで、
「母は母」「私は私」と思えるようになってきました。